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2009年01月 アーカイブ

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四国カルスト

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日本三大カルスト(四国カルスト、山口県の秋吉台、福岡県の平尾台)のひとつで、その中でも最も高い標高からは石鎚山などの周辺の山々が一望できる。

西から大野ヶ原、五段高原、姫鶴平(めづるだいら)、天狗高原(てんぐこうげん)(標高1485m)まで、なだらかな山肌には、夏は草に覆われた緑のじゅうたん、秋はススキが一面に広がり、一年を通して四季を楽しむことができる。浸食作用で地表に露出した石灰岩が点在している。乳牛の放牧地帯としても有名で、多くの牛が放牧され、カルスト特有の風景をさらに牧歌的にし、多くの人々が訪れる観光地となっており、愛媛県では1964年(昭和39年)3月21日に四国カルスト県立自然公園として指定されたそうです。

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松山城

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1602年に、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に水軍の将であった加藤嘉明が築城を開始した広大な平山城であり、城山公園全体は国の史跡で、建造物21棟は国の重要文化財に指定されている。黒船来航の翌年にあたる1854年に、15万石の親藩松平家により本壇の天守群が再建されたため、代表紋章は葵の御紋。城山の樹叢(樹林)は、県指定天然記念物。登城客の利便のため、城山索道が設置されている。貴重な現存12天守の一つで、日本100名城、美しい日本の歴史的風土100選(道後温泉と共に)、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選などの指定も受け、標高150mの松山城天守からの眺望も素晴らしく、松山市のランドマークであるとともに愛媛県を代表する観光名所ですよね。

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道後温泉

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道後温泉(どうごおんせん)は四国・愛媛県松山市(旧国伊予国)に湧出する温泉である。
日本三古湯の一といわれる。

その存在は古代から知られる。古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、
万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、
これはこの温泉にちなむ地名である。
伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。

夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている

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なもし

夏目漱石の小説『坊っちゃん』などの影響で語尾の「なもし」が有名。
「知っとるぞなもし」のように使う。
しかし、これは松山の方言であり、東予地方や南予地方では使われない。
しかも現在は松山でも一般には使われることはない。
一部年配者が使う「~ぞな」にかろうじて形跡を感じることができるくらいである。
一般的には伊予弁という言葉を使うが、地域によって多少違ってくる。
アクセントとしては東予・中予は京阪式アクセント・南予は東京式アクセントである。
また大洲地域においては崩壊アクセントである。語彙・表現では東予東部は讃岐弁、
東予西部は広島弁、中予は関西弁、南予は幡多弁との関係がうかがえますよ。なもし。

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いよかん

イヨカン(伊予柑、別名:穴門みかん (あなとみかん) )は、柑橘類の一種。
日本で生産される柑橘類では、ウンシュウミカンに次ぐ生産量の果物である。
明治時代に山口県阿武郡東分村(現:萩市)で発見されたのが最初とされる。
現在では主に愛媛県で生産されている。
名前は育ちの地である伊予国(愛媛県の旧令制国名)にちなんでつけられた。

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ポンジュース

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ポンジュースとは1952年(昭和27年)に当時の愛媛県知事・久松定武が日本一(ニッポンイチ)のジュースになるようにという意味でつけたもの。
ただし、愛媛(特に中予地方)の方言で「ポン」は別に「くだらないもの」、
「糞」という意味もあり、発売当時は「糞のジュースか?」と揶揄されたこともある(その後当時のことが愛媛新聞でも記事となった)。
また、POMというつづりからPower Of Mikanの頭文字からとったというデマも若者の間では広まっている。

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愛媛の鯛めし

鯛めしは愛媛県の郷土料理の一つである。
一尾丸ごと焼いた鯛を、醤油や塩で味付けした半炊き状態の炊き込みご飯の上に載せ、
さらに加熱して完成させる。通常土鍋で提供されるもの 。
今治などの東予や中予地方の松山・北条等で食べられる。
同類として鯛麺、鯛そうめんがある。
最後はまぜまぜして食べる!うまいよねーー。

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薄墨羊羹

その名は伊予節にもうたわれた「薄墨桜」にちなむもの。
薄墨桜は、大楽山東光院西法寺の縁起によると、
ある皇后が道後温泉に湯治に来られた際に、
勅命によって西方寺(西法寺は16世紀頃まで西方寺と称した)で祈祷を行ったところ、
快癒したので、勅使が来られ薄墨の綸旨に桜を添えて下賜された。
このほか、勅命により一山上げて祈祷したところ平癒されたので綸旨を賜ったとするもの、
平安時代に藤原良房の死後、荼毘に付したときの煙に触れて桜の色が薄墨色になったとするものなど、いくつかの説がある。

奥深いのう・・。